「高校・大学・北都銀行で野球部に所属―」
彼が野球の指導者を夢みたとき、強みとなる武器はこれといって無かった。
そんな無名の野球人渡辺龍馬さんが、海外でのプレー経験を引っ提げ、秋田の野球界に変革をもたらす指導者になるまでの“異端児っぷり”にせまります。
勇敢なチャレンジャーの印象が強い龍馬さんは「プロ野球選手は目指したことがない」という意外にも現実主義者。
野球を続ける道はNPBだけではない、人生の選択肢は無数に広がっているという。それを体現した彼のライフストーリーはいかなるものなのか……?
渡辺龍馬(わたなべりょうま)1989年秋田県出身。秋田中央高校・流通経済大学・北都銀行で野球部に所属した後、指導者を志し、国内外において幅広いキャリアを積む。
現在は、秋田市で野球教室を運営し、市内初の豊富な設備がそろう屋内練習場で、小学生から大人まで約100名を指導。中学硬式野球チームの監督も務める他、ジャパンウインターリーグのゲームコーディネーター、ポニーU12日本代表コーチ、夏の全国高校野球秋田大会の解説を務めるなど、活躍の場を広げている。※詳細はページ下部に記載
目次
変化球的アプローチでレギュラーの座を勝ち取った大学時代
──現在クラブやアカデミーで教えている子どもたちは、指導者の龍馬さんしか知らないと思います。彼らと同じ学生時代はどんな選手でしたか?
大学時代は、控え選手としてスタンドにいる時間の方が長かったです。打てないのがネックで、ずっと試合に出られなかったんです。
よく「上手い人は下手な人の気持ちが分からない」という言い方をしますが、僕は控え選手の気持ちがすごく分かります。
高校時代はレギュラーでしたが、大学になってレベルが上がったとき、普通に戦っても絶対ベンチに入れないと分かっていたので、自分の色を出すことに全力を注ぎました。
生き残るために選んだ“打たない”という選択肢
試合に出られない時期が続き「ここしかない」というチャンスが巡ってきたとき、僕は打席に立って“バッティング”をしませんでした。
バッターボックスでしゃがんでいたんです。フォアボール狙い、それしか生きる道がなかったからです。最近甲子園で同じようなプレーをした選手が注目されましたが、それよりずっと前からやっていました。
バッティング練習では、前に飛ばさずカウントを稼ぐためのファウル打ちや、バントしかしていませんでした。
そうしてやっとレギュラーで出られるようになった4年の春、打率はわずか0割5分7厘にもかかわらず、出塁率は3割8分を超えていました。
気が利く選手であるために
それから、監督の横で声出し要員にも徹しました。監督がぼそっと言ったことを代わりに声に出す。これにはNGワードや言い方もあるので、監督を熟知していないと務まりません。
また朝イチのミーティングでは、一切前触れがないなか唐突に「分かる人~?」という質問が投げられるんです。分かるわけないと思うじゃないですか? これが慣れてくると分かるんですよ。
「駐車場の芝が刈られていました。監督さんがいつもより早く来てやってくれましたが、自分らは『ありがとうございます』という声がありませんでした」
「それだよ~!」とか……
「昨日フィギュアスケートで浅田真央が金メダルをとりました」
「そうそう~!」とか。
こういった難解な質問に答えられるように、野球ノートに監督が言ったちょっとしたことも全部メモしていました。
あとは、監督がピッチャーを務めるバッティング練習で、キャッチャーに任命されることも多かったです。監督が投げたいボールを読んで要求していたので、そこを買ってもらえたのでしょう。
これらはコーチや監督に指示されたのではなく、自ら模索してたどり着いた答え。能力のない僕が試合に出られたのは、こうして感性を働かせたおかげです。
成功を裏付けた“勝ちゲーム”へのこだわり
──ここにたどり着くまで、壁にぶつかったことはありますか?
壁にぶつかったと思ったことは、一度もありません。周りからみると大変なことでも、僕自身はやりたいことをやっているだけなので。
例えば、北都銀行を辞めて茨城ゴールデンゴールズに入団したときは、4畳半で家賃1万7千円のアパートに住んで、バイトを2つ掛け持ちしながら練習や試合をこなしていました。
田んぼに囲まれたアパートのドアを開けたらザリガニがいたり、上の階に変なおじさんが住んでいたり。家を持たずに車で生活していた時期もあります。今となれば同じ生活はできないでしょう……
そうだ! 強いて言うなら、ゴキブリが大の苦手なので、1日に5匹も襲来する関東の巨大ゴキブリと格闘しなければならなかったのが、唯一壁にぶつかった経験です(笑)。
──なかなかハードな環境ですね! いくらやりたいことだったとはいえ、強靭なメンタルを持つ龍馬さんだからそう思えたのではないでしょうか?
それもあるかもしれませんが、勝ち試合しかしていないからだと思います。僕は「勝機が見えることしかやらない」というポリシーがあるんです。
学生時代からNPBは無理だと見定めていたのも、その一つ。高校も試合に出られそうな学校を選択しましたし、海外でプレーしたのも、キャリアを築いていく上で絶対に武器になると思ったからです。
中学硬式野球チーム「秋田NBAポニー SAMURAI BLACKS(以下:SAMURAI BLACKS)」の発足時も、オフシーズン限定のアカデミーから始めて、勝機を確信してからスタートしています。
ぱっと見て、できる・できないと判断して、無理だと思えば手を出しません。
──龍馬さんは、思い立ったら即行動するイメージがありましたが、冷静な状況判断で堅実にキャリアを築いてきたんですね!
幅広い選択肢の中で道を切り開く力を養ってほしい
──夢の実現に向けて模索していく子どもたちに、自身の経験からどんなことを伝えたいですか?
世の中には、色んな選択肢があることを知ってほしいです。
子どもたちから「夢や目標がない」と聞くことがありますが、それは狭い選択肢の中で選ぼうとするからだと思うんです。
例えば野球一つとっても、良介コーチ(※)のようにアメリカの独立リーグの監督という仕事もあるし、僕のようにヨーロッパでプレーする道もある。
※「SAMURAI BLACKS」コーチ陣の1人佐藤 良介さん
夢をかなえる方法も色々あると思います。先日僕が、ウインターリーグにゲームコーディネーターとして参加させていただいたのも、その一つ。
元メジャーリーガーのマック鈴木さんと話していたら、元ソフトバンクの斉藤和巳さんが入ってきて、さらに“イチローを越えかけた男”として有名な根鈴雄次さんも参加して……気付いたらとんでもない方々に囲まれていました。
日本での僕のキャリアを考えたら絶対にありえないことですが、自分なりの方法でキャリアを積み上げてきた結果、たどり着けたのだと思います。野球に限らず、外に出てみると無数の選択肢が広がっているのを、まず知ってほしいです。
そして、その道を自分で切り開く力を身に付けてください。
選手たちにもよく言いますが、スポーツに課金はないので……フォートナイトみたいに課金をすれば強くなるわけでもなく、ビヨンドのような高いバットを買えば打てるわけでもない。
本当にやりたいことのためなら、嫌なことから逃げずに立ち向かってほしいです。
それから、今の子たちは“指示待ち”といわれることが多いですよね? いずれキャリアを積んでいく中で、求められていることを察して行動できると「気が利くな」と目に留めてもらえるはずです。
こういった感性は教えられて育つものではありません。自らアンテナを張って探し出す努力が必要。
何か成し遂げたいことがあるのなら、試行錯誤を重ね、自分の力で道を切り開いていってほしいです。
──龍馬さん自身は今後どんな自分を目指しますか?
選手たちに色んな選択肢を与えて上のカテゴリーに出してあげるため、“渡辺龍馬”という価値を高め、新たなコネクションを作っていきたいです。
県外に行きたい・海外に行きたい、そういう子はサポートしながら、今までにないルートができたら面白いですし、秋田に留まってほしいとも思いません。
とはいえ、最終的には自分次第。その人が「良かったな」と思える野球人生を送ってほしいです。
──貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。無限の可能性を秘めた子どもたちが、色とりどりの夢をかなえていくのが楽しみですね!
渡辺龍馬(わたなべりょうま)1989年秋田県出身。秋田中央高校・流通経済大学・北都銀行で野球部に所属した後、指導者を志し、国内外において幅広いキャリアを積む。(茨城ゴールデンゴールズ―カリフォルニア・ウィンターリーグ―オーストリアVienna Wanderers―ポーランドSilesia Rybnik選手兼監督―ポーランド代表監督)
現在は、秋田市で野球教室「NABE BASEBALL ACADEMY」を運営し、市内初の豊富な設備がそろう屋内練習場で、小学生から大人まで約100名を指導。中学硬式野球チーム「秋田NBAポニー SAMURAI BLACKS」監督も務める他、ジャパンウインターリーグのゲームコーディネーター、ポニーU12日本代表コーチ、夏の全国高校野球秋田大会の解説を務めるなど、活躍の場を広げている。